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2011年東日本大震災手記(当時のメモ)改めて語る 東日本大震災ドキュメント10

私が一番尊敬する消防団
私は、
こうした捜索救助活動の中で、
消防団に何度も助けられ、
その男気と勇気に感銘を受けた。
私が一番尊敬し、
一番その活動を評価できるのが
消防団員である。
エピソードを紹介する。
震災から一カ月ほど経った4月9日のこと、
私は朝から南相馬市で捜索活動に入った。
この日、
福島市消防団第31分団の
水原消防団の有志が
捜索活動に参加して下さった。
水原消防団とは、
3月27日の奪還の会の活動の時に、
㈱加藤組の加藤修一社長が
送り迎えをして下さった縁でつながっていた。
その時に活動に参加され、
帰ってから消防団の仲間に伝えてもらった結果、
新たにみんなで行こうと申し出て下さった。
こんなに素晴らしいことはない。
遺体捜索のみならず
放射能で被ばくする恐れがある地区に入って頂けるという決断。
誰でも口に出すことはできるが、
実行することはなかなかできない。
私はその時になって尻込みする様を
幾度となく見てきた。
それだけに水原消防団の有志の
皆様には頭が下がった。
面と向かって御礼を言うと、
今までのことが思い出され涙が出
てしまうので、
なるべくみんなの顔を見ないようにして話をした。
失礼だったかもしれない。
でも、それだけ嬉しかった。
多分、南相馬市で陣頭指揮を執っている
中川庄一市議も嬉しかったにちがいない。


その日は朝からの雨で
警察、消防本部ともに
その日は捜索中止を決断したところへ
私達が到着した。
普段なら断られるところである。
現に市役所の正面で
南相馬市議会関係者とお会いしたら、
「今日は中止だ。やってもらって迷惑だ」
と言われてしまった。
ところが原町消防団長、
副団長ともに迎え入れてくれて、
私達が案内をしますと言って下さった。
本当にありがたかった。
佐藤光孝団長、
伏見順栄副団長、
山見重信副団長同行
のもと、
最初に原町区泉地区内の捜索を行った。
団長、副団長の男気に感謝した。

20㎞圏内に入るため、全員が防護服を着用した。飯舘村の協力により防護服の提供を受けた
南相馬市の消防団の皆様が先導して下さって、小沢地区内に入ることができた
途中に自作の掲示板に自身の安否やここに住んでいた家族のいる人、
未だに見つからない人が世帯ごとに明記してあった。
案内して下さった団長の娘が嫁いだ先の方もまだ見つかっていないとのこと。
団長も少しさびしそうに説明して下さった
まだ1000人以上の行方不明者がいる。
何としても早く家族のもとに帰してあげたい。
みんな真剣だこれだけ何も残っていない地区もめずらしい。
原形をとどめている家はほとんどない。すごい破壊力だ。
恐ろしさが歩いていて伝わってくる

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